第67章 ミズル・ズロムの秘密
「なに、聖戦士殿が、来られたと?おお、セザルもか。かような夜更けに、いかがした。」
占領下にあるキロン城で、指揮官を務めるミズル・ズロムは、通称・来賓室の窓際から、ふりむいた。この部屋は、第57章にも登場した。父の眼前に立つセザル・ズロムは、トッド・ギネスの無様な姿を見せまいと、あたふたしていたが、無駄なあがきであった。トッドは、恋敵に殴られた、あざだらけの顔を、恥じることなく突き出し、ミズルへ訴え出た。
「ミズル・ズロム閣下、火急の用件があり、参上しました。どうか、お聞き下さい。」
言うなり、トッドはよろけて、テーブルに、手をつきそうになった。なにしろ彼は、肋骨が折れている怪我人なのである。セザルがすかさず手を差し伸べて、倒れないよう、支えた。
ミズル・ズロムは、聖戦士トッド・ギネスの顔を、見るだけでも、背筋に冷たいものが走るのだった。紅顔の美丈夫。垂れ目に輝く、スカイブルーの瞳。けぶるような、プラチナブロンド。なにより、飄々とした声色。その男が、殴られても、殴られても、立ち上がり、自分の方へと向かってくる…はるか昔に、経験した通り、あの日見た、ガラリア・ニャムヒーの父親と、そっくり同じ姿だ!同一人物にしか見えん!ゾッとしてミズルは、聖戦士を直視出来ず、息子に問いかけた。
「その負傷は、いったい何事だ?セザル、説明せい。」
ミズルの子息は、聡明な男ではあったが、今回ばかりは口が重く、だが自分がしっかりしなければいけないという、使命感に突き動かされた。
「あのさ、パパ。聖戦士殿は、そのう…お怪我なさっているのは、ケンカしたからさ。」
次の句で、親子には意味が通じた。
「ケンカの相手は、ゼット・ライト殿さ。」
「なるほどな。それで?それがしに、何の御用でござるか、聖戦士殿。」
ガラリアの臥所(ふしど)に鎮座するゼット・ライトに、こっぴどくつけられた顔の傷。その若者が何を言い出すか、ミズルには予測出来たので、耳をふさぎたかったのだが。もはやトッド・ギネスを思いとどまらせる要素は、世界のどこにも存在しなかった。彼の激情のほとばしるは、水が高きから低きに落ちるように、必然であり、自然であった。
「ミズル閣下…!セザル君にうかがいました。守備隊長ガラリア・ニャムヒー嬢は、みなしごですが、彼女の母上なき後、学費を援助し、一人立ちできるまで、お育てになったのは、閣下であると。すなわち、ガラリア嬢の、あなたは養父。そうお呼びして、よろしいでしょうか。」
血気にはやっているとて、トッドは驚くべき理性的な物言いをした。横で見守っているセザルの方が、心痛のあまり、落ち着きが無くなっていた。
「ガラリアの、それがしが養父?ふうむ、せがれがそう申したのか?」
息子を、ねめつけたミズル。息子は、弓型の眉根を落とし、ふうと息をはき、
「みんな知ってるさ。口に出して言わないだけで。ガラリア嬢だって、パパが、足ながおじさんだったことは、わかってるさ。」
40代半ばになんなんとするミズルは、ガラリアの母、アメリア・ニャムヒーが、病苦のなか、あえぎあえぎ、ミズルの手をとり、娘を頼むと、ただそれだけを告げて、息絶えた日を思い出し、目頭を熱くした。
ミズル・ズロムは、青い髪をたなびかせる美女、アメリア・ニャムヒーを、愛していた。20代だったミズルは、アメリアに、ポロポーズの花を贈り、求婚した。だがアメリアを愛した騎士が、もう一人いた。それが、ガラリア・ニャムヒーの父親であった。
その男…ガラリアの実父…に、容貌も声も、しゃべり方さえ、そっくりな男が、今、ミズルに向かって、こう言った。
「閣下、どうかお願いです。ガラリア嬢と、正式にお付き合いを申し込みたいのです。俺は地上人でありますが、なにとぞお許しいただきたい。バ、バイストン・ウェル騎士道にのっとり!」
実をいうと、トッド・ギネスは、こんなことを、前向きな気持ちで、言の葉にのせていたのでは、なかった。彼は、絶望感に支配されていたのだった。なんになるんだ。彼女の気持ちは、まるで俺を見ていないというのに。なにをしてるんだ俺は。なにが騎士道だ、こんちくしょう!まるっきり、道化じゃないか。
「ガラリア嬢との、婚約のお許しをいただきたいのです。どうか、ミズル閣下、お願いいたします!」
聖戦士は、ミズル・ズロムの足もとにひれふした。絨毯が敷きつめられていたが、全然、暖かくはなかった。冷たい床の感触を、他人の冷淡さに触れるようにトッドは感じていた。
ミズル・ズロムは、まず、立ちなさいと、うながした。セザルにも命じて、全員、椅子に腰かけた。テーブルを囲み、座し、ミズルはしばらくの間、指でとんとんと机を叩いて、考えこんだ。トッド・ギネスにはその時間が、永遠にも感じられた。おもむろに口を開いた。低い声でミズルは、
「さよう、それがしは、ガラリアの養父である。彼女と、正式に婚約したいと申し出る騎士があらば、決定権は、それがしにあろうと考えられる。」
と、静かに言った。そして困惑を隠さずに、こう続けた。
「あれも、かような年頃になったのだのう…。考えてみれば、ニャムヒー家には、女婿(※)が必要だ。ガラリアはまだ、自分一人の戦功を上げるのに必死で、先のことに気が回っておらぬ。ガラリアが立身出世すれば、家名は上がろうが、職務をはたした次には、家庭安寧をはかるが、騎士の家柄では、常道である。あれも副団長にまで出世したことであるし、そろそろ、身を固めても、よい頃合いやもしれぬ。」
※女婿(じょせい)。むすめむこ。女子しか生き残っていないニャムヒー家が、将来にわたって家名を存続するためには、子孫や養子が必要である。21歳の、独身女性騎士、ガラリアに必要とされるのは(結婚が、騎士男女にとって、必須とされる時勢であるならば)、夫である。
我慢出来ずに、強く反発したのがセザルであった。
「何を言い出すのさ、パパ!そんなの、世間体だけ取り繕ってればいいってゆう、階級制度に縛られた観念じゃないか。家名のために、結婚しなければならないだなんて、古いったらないさ。だったら今まで、ガラリア様が、苦労してきた人生は、なんなのさ!孤独に耐えて、勉強して、戦って、努力して、努力して…。そんなことを、今さら言い出すなら、ガラリア様は、戦士になんかならずに、お婿さんだけもらっておけばよかったのさ!」
そこでセザルを諭したのは、トッドだった。
「セザル、そんな生き方をしていた彼女だったなら、俺は彼女を、愛してはいなかった。一生懸命に生きる彼女だったからこそ、今の彼女があるんだ。おまえの言ってることの方が、今さらだぜ。」
栗色の髪がもみあげにつながる、老練な騎士、ミズルは、トッドのこの言葉に、理知を感じ、ガラリアへの深い愛を感じた。ミズルは、彼にならば、秘密を打ち明けてもよいと判断した。いずれ、他人のそら似であろうから…。
「聖戦士トッド・ギネス。貴公は、まことに…まことにのう…。」
セザルの横顔をちらりと見やった。息子は、ふくれて、そっぽを向いていた。
「貴公は、ガラリアの、実の父親に、よう似ておる。」
トッド・ギネスは驚かなかった。なんと、驚かなかったのである。むしろ安堵したように、落ち着きを取り戻していた。
「俺が、そうですか…。どんなところが似ているのですか。顔ですか、性格ですか。」
「どちらも。似ておる。初めて貴公に会うた時、彼が、空から舞い降りたかと思うた。それがしは、齢(よわい)45になるが、そこに座しておる貴公を見ると、24、5歳だったあれの父が、そこにおるかのようだ。」
しばし、沈黙が流れた。トッド・ギネスは、不明瞭な未来を見つめ、ミズル・ズロムは、動かしがたい過去を想い、セザル・ズロムは、常に現在に生きていた。明るきも、暗きも、皆に等しくあった。
ガラリア・ニャムヒーの養父、ミズル・ズロムは、一つの結論を出した。
「それがしの一存では、決めかねる。トッド・ギネス殿、いま我が軍は、戦時にあり、ガラリアには軍務がある。ドレイク軍副団長の、婚約を取り決めするには、時期が適していない。だが、どうしてもと言うなら…。」
トッド・ギネスは、息をのんだ。
「お館様に、お許しをあおがれるがいい。ドレイク・ルフト様が許されたならば、それがしも、ガラリアとの婚約を、許可しよう。」
驚天動地。セザルだけが、あわてふためき、パパと、トッドを、止めようとしたが、手の施しようがなかった。色めきたった聖戦士トッドは、養父殿の両手を握り、幾度も幾度も感謝をし、涙ぐんで、御礼申し上げますと言った。そして、駆け足で青いドラムロに乗りこみ、バラウで追いかけるセザル・ズロムを待たず、こんどはドレイク・ルフトのいる城、ラース・ワウへと、飛んで帰ったのである。
2015年2月12日