小説「塀の中」扉書き
彼女の名を呼ぶ、男には、二種類ある。
ひとつは、彼女の血縁の男であり、もうひとつは、彼女と血縁を持たぬ男である。
両者の血統は、相違しているが、
両者には、共通した感覚があり、そこに相違は無い。
この、異なる血統と、共通した感覚とが、
陳腐な悲喜劇をもたらすことは、
彼らに、その名を呼ばれる、彼女だけが、知っている。
彼女の名は、少女。処女。恋人。妻。娘。母、そして淫売婦。
彼女の名を呼ぶ男たちは、これらの呼び名が、
どれも等しく、彼女を指す名前であることを、けして知らない。
そう、これが、彼らに共通した感覚なのだ。
昔、むかし、ある所に。
無知と無知との狭間に、高くそびえる、塀があった。
この小編は、光栄ある女性の、歴史的記録である。
或いは、凡庸な女の、たわいもない備忘録である。