ガラリアさん好き好き病ブログ版

ここは、聖戦士ダンバインのガラリア・ニャムヒーさんを 好きで好きでたまらない、不治の病にかかった管理人、 日本一のガラリア・マニア、略してガラマニのサイトです。2019年7月、元サイトから厳選した記事を当ブログに移転しました。聖戦士ダンバイン以外の記事は、リンク「新ガラマニ日誌」にあります。

小説「月花の花」執筆方針

俺が書いている小説、「月下の花」には、原作がある。テレビアニメシリーズ「聖戦士ダンバイン」(1983年)だ。2011年の現在にあっては、ビデオオンデマンドサービス等で、ごく簡単に、視聴が可能だ。見れ。バンダイチャンネルが、いちばん手っ取り早いかもしれない。見れ。

そいで、小説「月下の花」を読み返し、修正し、推敲しながら、「これはこうしよう。」と考えたこと列挙。

 

(1)本文中のアラビア数字は、全角数字にて表記する


この小説を、ワードで書いていた頃、俺は、数字はすべて、全角で書いていた。印刷を意識したワードのファイル上においては、半角数字よりも、全角数字のほうが、見やすかったからだ。

それと、俺の職場でワードを使用するさい、上司から、全角数字で統一するよう、命じられていた点も、大きい。職場から帰宅し、マイルームでニタニタしながら自分用小説をワードで書いていた俺が、全角数字で、

 

ふり返った23歳のバーンは、顔立ちも体格も、精悍な、大人の男性に成長している。澄んだ赤茶色の、大きな瞳は、長い睫毛に縁取られ、男らしい美しさに、光り輝いている。鼻筋は高く、口元は引きしまり、もみあげは、先端の毛足が長くサラサラと、その美しい頬にかかる。城下の誰もが、彼はアの国一番の美男子であると、口をそろえて言う。その、彼の涼やかな唇が動く時、彼の、朗々とした声を聞く者は皆、バーン・バニングスは、誇りと自信にみなぎっている男だと感じた。

「月下の花 第12章 機械の館のあるじ」より

 

 

と、書いていたのは、自然な行動だった。

そして後年、サイトに載せた後、「ホームページ作成講座サイト」を、いくつか読むと、ウェブサイトにおいては、アラビア数字は、半角数字を用いるのが、望ましい的な指南が見つかった。それを受けて、俺は、数字はぜんぶ、半角に書き直そうかな?と思ったことも、あった。

めんどくさかった。
そんなん、どうでもエエやん、と思った。

今回、改めて己が文面を、ブラウザOperaで見直しても、やはり、日本語の長文中には、日本語用アラビア数字である、全角数字を用いるほうが、日本人には、読みやすいだろうと判断したのだった。

 

(2)挿絵はいっさい入れない


「月下の花」には、挿絵が、まったくない。

これは、機械オンチだった俺が、自作イラストを、ホームページビルダーの編集画面に、挿入ソーニューする技術がなかった点がひとつ。

ふたつめに、肉筆イラスト至上主義の俺が、用いるべき機械、スキャナが、パソコン(Win98)のメモリ不足のため、導入できなかった点。

メモリを増幅し、スキャナを買い、自作イラストを、サイトに載せるようになってからも、俺は、「月下の花」に登場するキャラクターの自作イラストを、紙に描いてはいたが、掲載することをためらった。

まず、


・原作アニメにも登場する人物(主人公ガラリア・ニャムヒー、副主人公バーン・バニングス、トッド・ギネス、ドレイク・ルフトなど)


これらは、原作アニメ「聖戦士ダンバイン」を見れば、難なく見られるわけであるから、そっちを見てもらったほうがヨイと感じた。

 俺の脳内で、「月下の花」は、湖川友謙作画監督による、金も時間もかけて製作した、アニメーションで、空想されている。それを、なるべく精密に、文章化しようとしている。上に引用した、バーン・バニングスの容貌の描写は、湖川先生の描かれた、すばらしい絵を、なんとかして文章で表現しようと、努力している軌跡なのである。

そんな努力に対して、俺が描いた挿絵は、入れないほうが、ヨイと判断した。これは、天才アニメーター、湖川先生への敬意であると同時に、彼の作画を、文章で表現しようと努力している、俺自身への自負でもある。

 

つぎに、


・完全に俺のオリジナルキャラクター(ガラリアの恋人アトラス、ガラリアの親友ユリア・オストーク、謎の美少年セザル・ズロム)

 

これらについては、深く考えた。「作者である俺の脳内でイメージされ、俺が描いた絵」を、サイトの読者さんに、お見せしたほうが、いいのか、悪いのか。

今回、「月下の花」の全編を読み直して、決意した。

ぜったい、挿絵は、ないほうが、よい!!

そもそも、活字の本の、最大の魅力とはなにか。

読者の想像力を、かきたてる!これに尽きるのだ。マンガやアニメや、実写映画とちがう、これは、字ぃばっかの「小説」にしかない、強くて、大きな、武器だ。

「月下の花」に、アトラスが登場したとき、読んで下さったかた複数から、好評をいただいた。

 

 かつかつと式場に入ってきたアトラスを見て、ガラリアでなくとも、皆ハッとした。首筋まで伸びた黒髪がサラサラとたなびき、クの国風の、マントの付いた薄茶色の軍服が、ぴんと伸びた背筋を映えさせ、兵たちの方を向いたその顔は、彫刻のように整い、にこやかに開いた目は青く澄んでいた。

男たちの目には、彼は軍人の鑑のように映り、兵の中でただ1人の「少女」ガラリアには、圧倒されるほどの「大人の男」の風格が感じられた。

「月下の花 第1章 女、恋をして、処女と呼ぶ」より

 


俺は、俺が生み出した人物、アトラスが、湖川先生が描いたバーン・バニングスに負けないよう、容貌の描写、心理描写をと、丹念に、書き続けた。アトラスは、既存の絵画には、存在しない、理想の男性像にしたかったのだ。読者さん、ひとりひとりの、心の中に、理想像として、アトラスは生きていてほしい。ガラリアの初めての恋人として、ガラリアの心の中に、彼が、永久に生きていくのと、同じように。

ガラリアの、初めての女性の親友、ユリア・オストークは、こんな少女である。

 

「ユリア!ユリア・オストークはいないか。」

ラース・ワウ城内の、守備隊兵舎にやって来て、隊長ガラリアは、1つ年下の女性の名を呼んだ。ハンカチの青年が、ユリアならさっき馬で出て行って、と言いかけると、ガラリアの後方から、黄色い声がした。

「ガラリアさまーっ」

声は黄色く、髪は黄緑色の女性が、走って来た。

ユリア・オストークは、ガラリアより数センチ背が低く、スラリとしなやかな姿態の、20歳の女性だ。その黄緑色のサラサラの直毛を、肩にかかるほどに伸ばし、漆黒の瞳は大きく、愛敬のある顔立ちであるが、ガラリアのような目立つほどの美人ではない。笑顔は愛くるしく、見る者を安堵させる土臭さがあった。だが、その口元は、硬い決意によってきりりと結ばれ、黒目の視線は常に天空を、希望を仰ぎ見ている。

ガラリアはこの女性を見るたびに、自分が失ってはいけない、なにかを感じた。

化粧をまったくほどこさない顔は、ドレイク軍の薄茶色の軍服に溶け込む、黄色がかった浅黒い肌だった。その肌色が、彼女が騎士階級ではない、平民であることを、表していた。

「ガラリア様、機械の館に行っておられたのですね、わたくし、後を追っていましたの。行き違いになったのですわ。」

ユリアの言葉遣いは、意識した<騎士口調>である。平民は、<わたくし>とは、普通言わないのである。

「月下の花 第12章 機械の館のあるじ」より

 

 

実は、この女性キャラ、ユリアのモデルは、原作アニメ「聖戦士ダンバイン」に、実際に絵として登場する。

第15話「フラオン動かず」だ。ガラリアとゼット・ライトが、いちゃついているとき、ミュージィ・ポウが、女性騎士をふたり、従えて、やってくる。画面向かって右に、黄緑色の髪の毛を肩までのばし、ドレイク軍の薄茶色の軍服を身にまとっている、セリフのないサブキャラクターが、いた。

俺は、アニメの彼女を見て、かわいいな、この子好きだなと思った。そして彼女のイメージをふくらまし、原作アニメのガラリア・ニャムヒーにもっとも欠けていたもの、もっともガラリアに贈りたかったもの、


<同性の親友>


として、小説に登場させた。俺のユリアの容貌で、アニメのサブキャラとちがう点は、肌の色だ。階級制度の打破が、素地の思想としてある俺が描きたい、平民出身の、浅黒い肌のユリア・オストークは、きわめて鋭敏な頭脳を持ち、きわめて優しい心根を持つ、理想的な女性なのだ。

 

謎の美少年、セザル・ズロム。彼の父親は、原作アニメにも登場する、ドレイク軍の主力艦、ブル・ベガーの艦長、ミズル・ズロムだが、アニメには、ミズルにムスコがいるなどという設定は、もちろんない。

 

「ここに連れて来い、そやつを!」

 ハンカチ君は、問題の新兵、今また、ヘルメットを被ったままの下級兵を、守備隊長ガラリア・ニャムヒーと、腹心の部下、ユリア・オストークの前に連れて来た。鬼の形相の、女2人。芝生の青々と茂るラース・ワウの庭に、燃え立つ青い髪と、黄緑色の髪。この女性騎士の前に、新入りのこわっぱが連行されれば、大概、ビビっているものである。

コワイおねいさん2人の前に立たされた下級兵は、フルフェイスのヘルメットから、しらっととぼけた目線を、空に向けている。気をつけもせず、両腕をだらしなく背中で組んだままだ。

 ガラリアは、なんだこいつは、突っ込み所満載だ、列挙して叱らねばならぬと、まくしたてた。

「その方!上官と対峙するとき、姿勢は気をつけい!私が呼びつけたのだ、即、被り物はとる!話しをするときは相手の目を見よ!それから、そ…」

 怒り猛っていた、ガラリアと、ユリアは、2人とも、息が止まった。

声も出ない。女2人は、口を、アホの子のようにパカーと開けたままの状態で、停止してしまった。

その下級兵が、ゆっくりヘルメットをとったからである。

「・・・・・・・・・・・・」

 呆けた、クチ、パカーな女2人を見たハンカチ君、ガラリアにぞっこん惚れて幾年月の青年は、

(だから、こいつを彼女たちに、引き合わせるのは、イヤだったんだ)

と嘆いた。ハンカチ君は、自分の部下を含む3人に、くるっと背を向け、ガックリうなだれてしまった。

 下級兵が、ヘルメットをぬぐと、彼は、長い長い髪の毛を、被り物の中にたばねて隠していた事が、判明した。栗色のつややかなロングヘアーが、ファッサァーっと、彼の肩へ、胸元へ広がり、その長さは、背中の真ん中までぐらい、バーンと同じぐらいの長さだが、彼の髪にはもっとボリュームがあり、ゆるやかなウェーブがかかっている。額や耳にかかる髪が、駿馬のたてがみのように、ふさふさと風になびく。

 背丈は、ガラリアが見上げるほどだ。バーンより高いんじゃないか。

 彼は、もったいぶってヘルメットをとる際、その首を左右にふって見せ、栗色の長髪は彼の顔に、ショールのように巻きつき、そして離れた。シャンプーのコマーシャル技。柔らかく光沢する栗色の波の中に、現れたその顔は。

(こっ…こんな美少年、見たことがない…)

前章で、ガラリアは、年下には興味ゼロパーセントであると言っていた。それは本当である。しかし、眼前に出現した、おそらく17、8歳とおぼしき、少年は…

青く青く澄んだ瞳を、切れ長の下まぶたにのせ、いたずらっぽい微笑みを投げかける。男にしては、やや細めの眉も栗色、眉の形は、弓で闘いを挑む戦士の持ち物。勇ましく雄々しく、弾かれた弓形の栗色。鼻筋は高く真っ直ぐに、その頬に陰影を落とし、あたかも風光明媚な渓谷が如き。頬は小麦色、秋の午後に、地平線まで続く、一面の小麦畑のようにつややかにきらめく。口元は男らしく涼やかに結ばれているが、あどけなく、危なっかしい幼さをたたえる。唇は天然の桃色に、もぎたての果実のように、甘く、口づけをせがんでいる。

 ユリアも、ガラリアも、硬派の守備隊女コンビは、さきほどまでのヒスは、どこへやら、呆然と美少年に見惚れた。

 この世に、こんなきれいな男がいたのか。

 年齢は、下だけど、でも、背はかなり高いし、よく見れば、体格はがっちり、胸板は分厚く、二の腕はたくましく。なによりその顔が。女顔なのではない、至極男っぽい美しさなのだ。青い目は、さほど大きくはない、流麗な切れ長で、睫毛は長すぎず、凛々しさの中に甘さがある。今、この年齢で、これほど美しいのならば、将来、どれほどの美青年になるのか、想像しただけで、あぁ、花が濡れてしまう。

 すっかり、アホの子と化したガラリアを、美少年は、しっとり笑い、しどけなく見つめた。首を傾けて、うふっと息をもらし、しなを作る仕草が、殺したいほど、悩ましいのだ。桃色の吐息が、2メートル離れた私にまで、すいつくように、からみとられるように、芳しく漂い、誘う。あぁん…あそこが…ヒクヒクしちゃってもう…

「月下の花 第17章 バイストン・ウェルとはなにか」より

 

 

こんだけ、長々と、これでもか、これでもかと描写して、この文章に、我らがセザル・ズロム君のイラストをそえるなど、愚の骨頂と、断言していい。

別の章で、我らがセザル・ズロム君は、自分でこう言った。

「だから僕はさ、ずっと前から知ってるさ。騎士団長殿の、いっちばん好きな女の子は。」

「黙れぃッ!その先は、きさま、絶対、2度と口にするでない!それと。」

「それと?なにさ、なにさ。」

「お前、その、語尾に ~さ をいちいちつける喋り方は、やめんか。ガキ丸出しで、イライラするわ。」

「だめさ、だめさ。僕の ~さ は、外せないのさ。だってさ、これがアニメだったらさ、ヘルメットで顔見えなくてもさ、声優さんボイスで、僕だってわかるけどさ、これって小説じゃん?字ぃばっかじゃんさ。だからさ、台詞だけでさ、僕だって、読者さんにさ、わかってもらいたいのさ。」

バーンは、かぎかっこ内でキャラにこういう説明を言わせる、筆者の手法はいかがなものか、と思いつつ、本題に戻り、

「えぇい、とにかく、女の、彼女らの件は、他言無用!言えばその軽口、針と糸で縫いつけてやるからな、よいか、セザル・ズロム!」

「月下の花 第19章 戦士ガラリア・ニャムヒー ~前編~」より

 

 

 


といった次第で、字ぃばっかの、小説という表現媒体において、下手な挿絵(俺が自分の絵を下手だと自虐しているわけではありません)は、

ないほうが、ぜったいイイのさ!

 

(3)原作のイメージを破壊する


(4)検索避けをしない

 

ギリシア神話で、火星の守護神、軍神マルスは、「創造と破壊」の神です。創造とは、既存のイメージを破壊する行為です。「創造=破壊」の神、軍神マルスは、おひつじ座である俺の、守護神です。

さて、二次創作サイトに、よくある、こういう注意書き。

 

「ウチのサイトは、聖戦士ダンバインの虹(←これも検索避け用語らしいw)で、カップリングは、バーン×ガラリア、です。性描写と、人間が残酷に殺される描写があります。イメージちゃう!と、嫌悪感を感じられるかた、セックスや戦争について嫌悪感を感じられるかたは(←読んでもらえる前に、嫌悪感とか勝手に決めるなタコ)、ブラウザを閉じて下さい。」

 

俺、常々、こういうの見て、なんでこんな陳腐な注意書きが、二次創作サイトに限って、必要なのだろうと、不思議に思っていたんです。

確かに、同人誌業界、昨今は同人ウェブサイトにおいて、カップリングのイメージの相違は、そりゃもうオソロシイものです。自分のダンナが、ほかのオンナに盗られたように感じたり、自分自身が、意にそわない男に犯されているように、感じたりします。ああ、ホンマ、恐ろしい。

聖戦士ダンバイン」でいうと、ガラリア×フラオン・エルフとか、バーン×シーラ・ラパーナとか、そんなカップリングを見た日には、俺は憤死すると思います。

 

でもね。


イメージって、そもそも、なんでしょうか。
イメージとは、ひとりひとり、違っていて、当たり前じゃないでしょうか。

 

俺が、自サイトで、バーン×ガラリアで、好き勝手に妄想した小説を、精液垂れ流すように垂れ流しているのと同じように、世界のどこかで、バーン×シーラ・ラパーナを大好きで、書いてる人がいたからって、俺がとがめたり、注意書き置いとけ!検索避けしろ!などと、要求すべきことでしょうか。

読者は、このような要求など、すべきではないし、表現者は、批判をおそれて、オドオドすべきでは、ありません。

♪だのにー なーぜー 同人誌ーでーはー 
 気にしーすぎるのかー こんなーにしてーまでー

何年か前のことです。俺は、アクセス解析を見ていて、mixiから、リファラがあるのを見つけて、興味シンシン宅間伸で、見に行きました。

個人の日記に、「月下の花 第2章 女は女に生まれるのではない。女になるのだ」 へのリンクがありました。このタイトル、「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」は、かの有名な、フランスの思想家、ボーボワールの名言そのままであることは、文学部哲学科出身の俺は、知ってて用いましたし、読者さんにも知ってるかたは、多かろうと思ってました。
さてリンク元mixi日記では、俺の小説についてどう思うかと、日記ヌシさんと、マイミクさんの間で、議論が展開されていました。

俺がビックリしたのは、彼らは、「月下の花」を、アニメの二次創作小説として見ておらず、ボーボワールの名言を冠したポルノ小説と捉えて、議論していたことです。そして批判が書かれておりました。あの『第二の性』の名文を誤読したか、知らずに引用したのか、こんな、処女を失って「女になる」ことを、ボーボワールを持ち出してタイトルにするなんてと、

「駄文だと思う。」という一文が、俺の心に突き刺さりました。

痛みとして?いいえ、もちろん、ちがいます。
ものすごく、嬉しかったのです!

検索エンジンで、ボーボワールの言葉を探してて、俺の小説に行き着いて、こんなに熱心に読み込んで、議論し、批判してもらってるだなんて。

俺の大学では、自分の論文を発表し、先生とクラスメイトにボコボコにされる、それも徹夜で。これは、表現者と読者が存在する場所では、当たり前であり、ボコボコにされて、俺は泣いて、また書きました。大学を卒業して何年経っても、文章を書くとき、批判「していただいてなんぼ」と思い、

アニメの二次創作小説を書いていた俺の小説を、原作アニメありきの色眼鏡で見ず、俺の「駄文」を、純粋に、一文章として批判してもらえただなんて。こんなに嬉しいことは、ありません。

俺は、「聖戦士ダンバイン」ファンの、皆さんひとりひとりが持っているイメージを破壊します。二次創作=創造とは、イメージを破壊する行為だからです。

俺は、自分の小説を、「聖戦士ダンバイン」を知らない人が、検索で見つけやすいところに置いて、発表してゆきます。

 

2011年1月28日